なつのことば(本編)

等身大のわたしが綴る、等身大の毎日たち。

「いい子でいなきゃ」

 

こんばんは。

 

さてさて5月に就活を終えた私ですが、

未だに自己分析という名のものを細々と続けています。

(というより趣味が「物思いに耽ること」みたいなところがある。笑)

 

で、まだまだ自分について「自分ってこんなやつだったのか!!!」

って思うことが多々あるわけです。

 

 

最近自分について少しだけわかってきたことがあります。

 

それが、

“自分が人にどう思われるか”ではなくて

“自分が人にどう思ってほしいのか”を常に頭の中で考えている、

ということ。

 

幼い頃から人の目を見て顔色を伺って生きてきた私は、

「人からどう思われるのか」をとっても気にする子どもでした。

 

自分が思い出せる限りの最初の記憶は、

親戚の集まりで大人たちの顔をじっと眺めている自分、というくらいに。

 

だから、「いい子でいなきゃ」という気持ちはきっと人一倍強かったし、

幼い時の「家にいる自分」と「友達の前での自分」は明らかに違っていました。

 

「いつもいい子ぶるから嫌い」

なんて悪口も小学生の頃には叩かれていたなと思い出します。

 

 

 

就活中にこんな自分のことを責めたこともありました。

なんで「いい子でいなきゃ」と思っていたのかなんて分からなかったし、

どうしてそこまで周囲の目にこだわっているのかも分からなかったし、

そんな自分が情けなかったし、

それを両親の育児のせいにもしたくなかったから。

 

 

でも、小学生の頃の自分だけじゃなくて

中学生の自分も、高校生の自分も、

大学生になってからの昨日までの自分のことも考えてみたら

だんだんわかってきたんです。

 

 

もっとこうしたら喜んでくれるんじゃないかとか

こうしておいたら困らないだろうなとか

こっちの方がきっと楽しんでくれるはずとか、

 

私はひたすらに

「こう思ってほしい、こう感じてほしい」

「だからこうしたらいいんじゃないか、ああしたらいいんじゃないか」

と考えているんだと。

 

そして、そう考えているときの自分はめちゃくちゃにワクワクしているんだと。

 

なんだ、これが私の根底にあるのかって気づけたとき、

スッと肩の力が抜けた気がしました。

 

きっと「いい子でいなきゃ」と思っていたのも

お母さんの喜ぶ顔が見たいとか、こんなに偉い子を持って幸せだなって思ってほしいとか、

たぶん子どもながらに持った純粋な気持ちだったと思うんです。

 

だから、何も情けなくないし何も責めることじゃなかった。

 

 

 

考え込みすぎることが多かった私にたくさんの人がかけてくれた

 

「物は考えようだよ」ということば。

 

 

 

その意味が、少しずつ分かってきた気がします。